靜心 shizugokoro

トップ    お知らせ・ブログ    フォンダンショコラ

フォンダンショコラ

”udanウダン”とは、バスクの言葉で”夏”を意味する。店主の古賀路恵さんが、なぜ夏という名前を自身のお店につけたのは、考えてみたら聞いたことがなかった。

熊本の町の中心にほど近い通りに、路恵さんの店はある。
向かいには、夫である択郎さんが営む、ナチュラルワインの店”Qurto”があって、どちらもそれぞれの思いがぎっしり詰まっている。
どちらかの店で、彼らの3人の子どもたちが過ごしていることもあり、そこは店でもありながら、古賀家という家族の家でもあるのだろう。

路恵さんは若い頃、フランス・バスクに旅立ち、そこで料理や菓子を学んだと聞いている。
実は、路恵さんは東京の私の料理教室に通ってくれていたことがあった。
でも、熊本で久しぶりに再会した時、結婚して名字が変わっていたのと、当時と雰囲気が全く違っていたのとで、同一人物とは思えず、私は”はじめまして”と挨拶をした。
だいぶ経ってから、”実は、私、亜衣さんの料理教室に通っていたんです”と伝えられ、私は恥ずかしいのと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
思い出してみれば、たしかに”路恵”さんという人はいたのだ。
当時は東京のパンと料理の店で働いていたように思う。
一度、私のアシスタントをさせてほしいと声をかけていただいたが、当時の私はひとりで働くことを好んだので、せっかくだがお断りをしたのだった。
当時の路恵さんは、きりりとした少年のような雰囲気をもつ人だった。
それが、すっかり二男一女の母となり、会うたびに柔らかな、優しい空気を纏って、私の心をほぐしてくれる。
そう、路恵さんはそばにいると、ふと見とれてしまうような、そんな美しい人なのだ。
 
路恵さんが熊本に越してきて間も無くの春、私の家の裏にある森で、はじめて一緒にピクニックをしたことがあった。
その時、作ってきてくれたお菓子が”ガトーバスク”だった。
パスティスがほんのりと香るクリームを挟んだガトーバスクは、遠い国の味がした。
ふと、バスクの旅の記憶が蘇る。
もうだいぶ前に、フランスのあちこちを車で駆け抜ける旅をしたことがある。
最後に足を伸ばしたのが、バスクだ。
フランス・バスクからスペイン・バスクへ。
思い出深い、旅だった。花びら舞う桜の木の下で食べた、路恵さんのお菓子は、まだ少し肌寒かった春の始まりに温かな気持ちを添えてくれたのを思い出す。
 

路恵さんの作るお菓子の中でも、私がとりわけ好きなのが、秋の”栗のガトーバスク”、そして冬の”フォンダンショコラ”だ。フォンダンショコラは、毎年恒例で開いていた、泰勝寺の”カカオ市”に、ある年、路恵さんが作ってきてくれたのが最初だった。
それを食べた時の興奮が、私から彼女に宛てたメールをいま読み返すだけでも伝わってくる。
『香り、食感、甘さ、全てが好きです。お皿についた跡まで、綺麗にすくっていただきました。ぜひ、ずっと作り続けてくださいね。』

このフォンダンショコラは、路恵さんがピレネーの麓のレストランで働いていた時に、隣村のレストランのマダムに教えてもらったというレシピをもとに作ったそうだ。
自身が惚れ込んだチョコレートに合わせて、配合を変えたというフォンダンショコラは、シンプルなチョコレートの味そのものなのに、なんだろう、この食感は、と思わせるような迫力がある。
そして、それを食べながら、私は一瞬、いつも夢を見ているような気持ちにとらわれる。

私は甘党ではないので、お菓子には和洋問わず、どちらかといえば疎い方だ。
特に凝ったお菓子は苦手で、好きだな、と思うのは素材そのものの味を直球で感じられるもの、そして、作る人ならではの技術で本来の素材の食感や香りを一歩、あるいは何歩も超えたところまで変化させつつも、飾り気のない、実直な雰囲気のするものだ。
路恵さんのフォンダンショコラはまさにそんなお菓子だ。
チョコレートを欲する冬、私はふだん、板チョコレートしかほとんど食べないのだが、そんな中で唯一、食べたくなるチョコレート菓子でもある。

路恵さんの過ごしたバスクの日々。
ピレネーの景色。きっと、私たちには知ることのできない、彼女だけの豊かな記憶が、この焦げ茶色のお菓子には詰まっている。

2021.01.29