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”くるみの木”の和グラノーラ

くるみ、干し柿、黒豆、かぼちゃの種、玄米、青大豆、餅玄米、大麦、もちきび、もちあわ、ひえ、白ごま。
”くるみの木”のグラノーラには、大和の心が詰まっている。

奈良・”くるみの木”の石村由起子さんに初めてお会いしたのは、もう15年ほど前に遡る。
『僕の器の展示会をする時に、亜衣さんに料理をしにきてほしいという人がいるんだ。奈良で雑貨店とホテルとレストランなどを経営している、ちょっと面白い人なんだけど、一度会ってもらえないかな?』と、輪島の漆作家の方からご縁をいただいたのだった。
 
私のように出張料理を本業としない一料理家が、遠くまで料理をしに出向くのは、今でこそ珍しいことではなくなった。
しかし、当時の私は自宅で毎月イタリア料理の教室をしながら、年に数回イタリアへ料理を学びに行くという生活を送っており、誰かに料理を教えたり、作ってもらうことはあっても、自分の台所を離れて見知らぬ誰かのために料理をするということはなかった。
 
”奈良で料理?どんな場所で、どんなお客様が集まるのか…?”
イメージがつかめずに困っていたところ、『まずは、一度亜衣さんの家にふたりで行くよ。輪島から食材を送るから、それで料理を作ってほしい』とのこと。
そして、ある夜、私が一人暮らしをしていた東京の家におふたりが来てくださり、料理をする運びとなった。
 
由起子さんは”面白い人”という言葉がぴったりの、本当に愉快な方だった。
経営者と聞いて身構えていた私の緊張は一瞬でほぐれ、ひたすら笑ってその夜は過ぎていった。
何を作り、何を話したのか、もはや忘れてしまったが、一晩中お腹を抱えて笑ったことだけは覚えている。
そして、それは、今までずっと、由起子さんに会うたびに続いている。
二人で笑い転げているうちに、不安や疲れや、ネガティブなことはすべて吹き飛んでしまう。
由起子さんは、まさに”陽”そのものの人なのである。
偉大な仕事を数限りなくしてきているのに、決して偉ぶることなく、地道に好きを貫き通し、まわりを幸福にする。
その姿から私はたくさんのことを教えてもらっている。
 
師走の”御祭り”の夜、漆の器の展示会に合わせて料理をすることを約束し、私は、奈良で人生で初めてとなる料理会を行う光栄をいただいた。
お客様の笑顔、由起子さんやスタッフのみなさんの支え、器と料理の美しいコントラスト、荘厳な御祭りの風景…。
それらは忘れがたく私の心の片隅に生き続けている。
あれからだ。
私の料理家としての旅が始まったのは。
奈良にはそれ以来、毎年、四季折々、工芸作家の展示会や料理教室など、様々な機会に訪れ、料理をさせていただいている。
当初は自宅を離れ、慣れない場所で料理をする不安もあった。
しかし、両手を広げて由起子さんが待っていてくださると思うだけで、旅をする足取りは軽くなった。
 
いまはもうなくなってしまったが、以前は、秋篠寺のほど近くに、くるみの木が営むホテルとレストランがあった。
”秋篠の森”と名付けられたその場所は、数え切れない種類の樹々に埋もれるようにして建物が立っており、季節ごとの花が咲き、実がなり、下草一本に至るまで美しく整えられていた。
訪れるたび、心の中で”ただいま”と言いたくなってしまうような、日常と非日常のちょうど間の心地のよい空気が満ち溢れている。
そこには、隅々まで由起子さんのおもてなしの心が詰まっており、私はいつも強く胸を打たれた。
目に見えるものにも、見えないものにも、すべてに心を配る日々の積み重ね、そして、訪れる人を楽しませたい、喜ばせたいと願う、細やかで温かな気持ち。
真の”もてなし”は、一朝一夕に叶うものではないことを、私は”秋篠の森”と石村由起子という人から学んだのだった。
 
いつも、森のホテルの一室に泊めていただきながら、料理の仕込みをする。
台所の窓からは森の緑が目に飛び込み、裏口を一歩出ると森の香りを体いっぱいに吸い込むことができる。
そのような場所で料理をさせていただけるだけでも幸せなことだが、仕事の合間の一番の楽しみは、レストランの厨房の方が用意してくださる食事だった。
朝食、昼食、夕食、どれをとっても心づくしの忘れがたいものばかりだが、とりわけ格別に感じたのは朝食の時間だ。
和風の日は、食堂に入ると、厨房からわらび餅をへらで力強く練る音が聞こえてくる。
大鉢に盛られたたっぷりのだしを使った煮物やあえものに始まり、数々の漬物、茶粥、そして、最後はわらび餅で締めくくられる。
洋風の日は、なめらかなポタージュスープや卵、ソーセージ、焼き野菜、パン、ヨーグルト、ジャム、季節の果物など。
ほどよく冷やされ、食べやすく切られた果物には、庭の緑の蔓があしらわれ、皿の上に心地よいリズムが生まれている。
果物という当たり前のものでも、食べる人の心を掴んで離さない、”森”ならではのおもてなしの心がそこにはあった。

私はふだん、朝食はパンと飲み物だけでごく簡単にすませることがほとんどだが、秋篠の森の食堂でいただく朝食は別格だった。
しかし、厨房がお休みの日などは”ガラスの小屋”と名付けられた、ギャラリーの脇にあるガラス張りの小さな展示室で、ギャラリーのスタッフの方が簡単な朝食を用意してくださった。
そんな時に必ず登場するのが”和グラノーラ”で、これを初めて食べた時の驚きは忘れられない。
 
グラノーラと名付けられてはいるが、一種の”ポン菓子”と呼ぶべきだろうか。
ふかっと膨らませた玄米にはちみつや甜菜糖で甘みをつけ、干し柿やくるみ、ごま、大豆、雑穀などと合わせてある。
スパイスの香りや、ふだんあまり食べ慣れない洋風のドライフルーツではなく、どこか懐かしさを感じる味や食感の組み合わせがとてもいい。
よく考えたものだと、感心してしまう。
しかも、体に良さそうなものばかりが詰まっているので、食べていると不思議と元気をもらえるのだ。
 
お茶請けにそのままぽりぽりとつまむのもいい。
でも、私が一番好きなのは、月並みだが、おいしい牛乳との組み合わせだ。
きんと冷やした牛乳をまわりに注ぎ、大急ぎで匙ですくって口に入れ、ふやける前のぽりぽりした歯ざわりを楽しむ。
優しい甘みと、豆や雑穀の食感が口の中で弾けるのが心地いい。
 
 ”くるみの木”発のグラノーラは、日本でなければ、奈良でなければ生まれ得なかった、日本一のグラノーラだと思う。

玄米の合間にたまに干し柿を見つけると、私はなんとも言えず幸せな気持ちになる。
由起子さんに連れていっていただいた、山里の柿がなる風景が蘇ってくるからだろうか。
奈良の空はとびきり広い、と訪れるたびに思う。
広くて、どこか温かい。
ずっと包まれていたくなるような、そんな空がいつも広がっている。
そして、それは、由起子さんという人そのもののようにも感じている。

奈良を想いながらグラノーラをつまむ朝。
”森”の朝食のようにたくさんの料理が並ばなくとも、
グラノーラを盛ったガラスの鉢に牛乳を注ぐだけで、その朝は格別なものに変わる。ぽりぽり、かりかり、さくさく。
様々な食感が折り重なる、楽しく、そして、滋味深いグラノーラもまた、様々な魅力をあわせ持った由起子さん自身に通じているのかもしれない。

細川亜衣

くるみの木 和グラノーラ
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2021.03.29