靜心 shizugokoro

トップ    特集・レシピ    薪火野のパン

薪火野のパン

夏、丹波から大きな小包が届いた。
中には大きなパン・ド・カンパーニュとパン・デピス(スパイスのパン、という名のフランスのお菓子)が一つずつ。
それらを両手に抱えた時にこみあげた思いは、生まれたての赤ちゃんを抱いた時の気持ちに、少し似ていたかもしれない。

パンのほかには、はじめましての手紙とともに、手触りのある乳白色の紙切れに描かれた、パンのスケッチが入っていた。
紙切れ、と書いたのは、本当にその紙が手でちぎられていたからだ。
普通なら少し乱雑に感じるかもしれないが、紙が手で大らかに斜めに切られた様子から、私は、まだ会ったことのないその人のことを、なぜだか好きになった。

手紙は、”パンたちは少しでもテーブルに光を灯すものであれば幸いです。”
という言葉で締めくくられている。
その言葉をいま読み返しながら、私の中で忘れかけていたある記憶が蘇った。
幼い頃、毎週日曜日、教会のミサに参列していた時のことだ。
休みの日に教会に出向くのは正直面倒だったが、聖体拝領をするのだけは密かな楽しみだった。
厳かな気持ちで聖堂の中央の列に並び、神父様の前に立つ。
一瞬、神父様のお顔が自分の目の前にぐっと近づき、口の中に白くて丸く、薄っぺらい、”パン”を入れていただく。
その淡く儚い味を感じるたび、私の心の中にはぼっと光が灯ったものだった。

私はさっそく、カンパーニュを切り、大きな塊のままじっくり蒸してから焼いた。
パンは必ずそうやって温める。
しっかりと蒸気を通したパンは焼き立てのしっとりとした食感を取り戻す。
やや厚切りにしたパン・デピスも蒸してから、パンの到着に合わせて作っておいたレバーペーストに冷たいバターとともに添えた。
その日は、友の誕生日で、幸せの塊のようなパンのある食卓の風景は、いつになく明るかった。
光は、一緒に食卓を囲んだ皆の心の中に、たしかに灯っていた。

このパンを作った人に会ってみたい。
久しぶりに、会ったことのない誰かに会いたい、という気持ちを私は抱いた。
そして、願いは叶い、11月の満月の日、私はその人を訪ねることになった。

パンの焼き手は中山大輔さんという。
丹波でひとり、パンを作っている。
お会いするまで、山奥で寒風吹きすさぶ、薄暗い古民家に暮らしながら、細々と薪窯でパンを焼く姿を勝手に想像していた。
しかし、住所を頼りに着いた先は、しっかりした造りの山小屋風の家で、視界をさえぎるもの一つない、広くて明るい庭には、大きな楡や桜の木が伸び、花梨がたわわに実をつけている。
そして、挨拶に出てきて下さった大輔さんも、勝手に人見知りで無口な方だと思い込んでいたのだが、拍子抜けするほど親しみやすく、朗らかなお人柄だった。

ああ、なんと光に満ちた場所、光に満ちた人だろう。ここから、この人から生まれるパンは、光そのものに違いない。

ちょうどパンが窯に入っているからと、早速工房に案内していただく。
煉瓦を積んで手作りしたという窯は、煉瓦のグラデーションと鉄製の蓋のコントラストが美しく、どぎまぎする。
使い込んだ道具を操り、体にすっかり馴染んだ作業着を身につけ、黙々とパンを取り出す後ろ姿は、ずっと眺めていたくなるほどまた、美しかった。
しばらくすると、鼻の中に心地よい香りが立ち上り、小さな窯の中からは想像以上にたくさんのパンとパン・デピスが出てきた。
この香り。
この風景。
窯をのぞかせてもらったイタリアやモロッコの旅が蘇る。

工房の片隅にはドイツから届いたという、立派な躯体の木製の製粉機があった。
惚れ込んでいる小麦の作り手から小麦を寄せ、粉を挽き、自家培養の種と塩を混ぜ、手でこねて日々パンを焼く。

私が訪れた満月の日は、本当なら小麦の種を蒔く日だった。
突然、機械が壊れ、叶わなくなってしまったのだが、予定通り畑には案内していただいた。
”小麦を育てることは心の安定剤”だと、大輔さんは言う。”
小麦の収穫は一年に一度しかできない。
百年生きたとしても、百回しか種を蒔けないし、収穫もできない。
だから、自分が生きているうちに、なるべく早く経験値を積みたい。”と。

小麦畑で別れを告げる。
農道で手を振って送ってくれるその姿が遠くなってゆくのを眺めながら、あの人は、一日中、ずっと笑顔だったなあと心が和む。
次にまた会えるのはいつだろう。

いつか、大輔さんの作る小麦から生まれたパンが焼ける日が来るだろう。
その時が訪れるのを、私は遠くからひっそりと祈り続ける。

大輔さんは自らが焼くパンを”糧のパン”と呼ぶ。
作る人自身の、そして、食べる人の日々をつなぐパン。
多くの方の心に、光を灯すものであるように。
私の願いも、また同じである。

細川 亜衣

薪火野 糧のパン パンデピス
FLAVEDO ジャム
倉永養蜂園 はちみつ
清水牧場チーズ工房 プティニュアージュ クワルク(販売予定)

Online Shop

2020.12.15

薪火野
中山 大輔

2015年 大学中退 広島ブーランジェリードリアンにて3ヶ月の研修

2017年 ヨーロッパはスペインに巡礼の旅へ
    その後ワーキングホリデーを使いフランスのロシェルで小麦農家での4ヶ月の研修
その後ドイツ、デンマークを旅する

2018年 帰国し兵庫県丹波市へ移住
2019年 クラウドファンディングでの支援のもと、手作りの薪窯で薪火野としてパン屋を始める

公式ウェブサイト新しいタブでサイトが開きます